ファミ通×怪

ファミ通と妖怪マガジン『怪』のコラボレーションから生まれたコーナー、“化け通”がお届けする特別企画。コーナーの命名からロゴデザインまでを手掛けてくださったのは、かの妖怪小説家にして稀代の妖怪好きとして知られる、京極夏彦先生(文中は京極)。

今回、シリーズ最新作となる『妖怪ウォッチ3 スキヤキ』の発表に合わせた特別インタビューとして、『妖怪ウォッチ』への京極先生の大談義をお届けします。

取材日は、去る2016年6月24日。奇しくも、イギリスのEU離脱が報じられた国際的な日でした。妖怪の大家、京極先生が初めて語った、日本を飛び出す『妖怪ウォッチ』についてのお話……ノーカット版+スペシャル・バージョンです。妖怪の神髄、たっぷりとお楽しみくださいませ。

京極夏彦

京極夏彦

小説家。怪マガジンの発起人のひとりで、お化け大学校の教授も務める。百鬼夜行シリーズ『姑獲鳥の夏』でデビュー。時代小説『後巷説百物語』で第130回直木三十五賞を受賞。ちなみに、無類の水木しげるファンとしても知られており、『ゲゲゲの鬼太郎』を題材にしたゲームだけは、すべてプレイ済だとか?

怪

世界で唯一の妖怪マガジン

世界妖怪協会の機関誌として、世界で唯一の妖怪マガジンと銘打ち、妖怪に関するさまざまな情報を発信する専門誌。マンガ家の故・水木しげる氏を筆頭に、荒俣宏先生、京極夏彦先生が発起人を務める。7月末発売の最新号には、化け通の特別ページも掲載中。

お化け大学校へ

『妖怪ウォッチ』を妖怪じゃないという人は……!?

——『妖怪ウォッチ』最新作の『3』では、海外が舞台になりますので、ぜひ今日妖怪を愛する京極先生に、世界に羽ばたく『妖怪ウォッチ』をどのようにご覧になられていたのか、うかがわせていただきたいのです。

京極 確かに、『妖怪ウォッチ』の話を聞かれるのは初めてかもしれないですね……そうねえ、世間が『妖怪ウォッチ』に注目したとき、まず『妖怪ウォッチ』の妖怪はレベルファイブというゲーム会社が創作したもので、本物の妖怪じゃない!」みたいなことを言う人がいましたよね?

——それこそ、水木しげる大先生の妖怪が本物だ、という意見を多く耳にしました。

京極 やっぱりねえ。でも『妖怪ウォッチ』は、正々堂々“妖怪”と名乗っているんだから、妖怪ですね(笑)。そういう人は『妖怪ウォッチ』はツクリだから本物の妖怪じゃないじゃん」って言うんだろうけど……妖怪は全部、誰かが作ったツクリもんですし。

——妖怪に本物などないと。

京極 そうそう。『妖怪ウォッチ』の妖怪がダメなら、水木(しげる)サンの妖怪もダメだし、江戸のお化けもダメということになる。一方で、『妖怪ウォッチ』は、過去の妖怪から脱却した新しい妖怪だ!」って言う人もいるんだけど……それも違いますよね。『妖怪ウォッチ』の妖怪は、狙ったのかどうかはわかりませんが、“妖怪作りの方式”を、きちんと踏襲して作られてますよ。そういう意味では別に新しくない。もちろん、“いま”の妖怪なんですけどね。

——本物も偽物もなく、れっきとした妖怪だと。

京極 だって自分で妖怪って言っているんですから(笑)。なんであれ、妖怪で人気が出たのは好ましいことだと思っています。真偽の誤解や賛否についても、きっと『妖怪ウォッチ』ブームが急すぎて、十分に浸透する前に注目されたものだから、戸惑いがあったのでしょう。でも、賛も否も微妙にピントがずれている気がしていました。

たいこモチたいこモチ

妖怪は“ちょい古”がいちばん大事

——賛否のピントがずれている、ですか。

京極 “ジバニャン”って、地縛霊の猫ですね。地縛霊って言葉は心霊方面の人が作った造語です。そんな言葉は昭和の前半にはなくて、70年代のオカルトブーム以降に一般化されたものですね。その言葉が、妖怪の名前に使われているわけですよね。

——はい。

京極 「地縛霊なんだから妖怪じゃなくて幽霊だ、おかしい」と言う人もいますが、幽霊だって江戸期には“化け物”の一種だったわけだし、妖怪のウブメなんかは、見方によってはどっちにも分類できるものです。だから、そこは問題じゃなくて、気にするべきは“作られかた”ですね。これって妖怪作りのセオリーを踏襲していると思いますよ。

——妖怪作りにセオリーがある!?

京極 簡単に言えば、“ちょっとだけ古い”というとこがポイントですね。地縛霊という言葉は、ちょっとだけ古い。ここが重要です。たとえば江戸時代終盤、妖怪に相当するようなキャラクターは、“お化け”とか“化物”とか呼ばれていました。明治時代、妖怪という言葉はいまでいう“オカルト”みたいな意味で否定的に使われることが多かったようですが、お化けキャラクターだけは別で、「江戸の人はお化けなんて古くさいバカなもんを信じてたね~」的な感覚で遊ばれていた。“お化け”は明治の“ちょい古”キャラだったんです。

——少し古い時代の言葉なのですね。

京極 もちろん、江戸の人だって信じていたわけじゃなくて、ゆるキャラみたいな感じで楽しんでいたわけです。そもそも江戸のお化けキャラも“ちょい古”なんですね。ろくろ首の衣装なんかは元禄時代のものだったりするし。昭和の中頃になって、妖怪という言葉はいまの僕らが知っている“妖怪”になるわけですけど、いろいろなクリエイターが妖怪をあつかっていた中、水木サンの妖怪が生き残って定着したのも、“ちょい古”感覚に気づいて、そこを徹底したからですよ。水木サンは常に最新のメディアで活躍してきた人ですが、紙芝居では講談を、貸本マンガには紙芝居を、雑誌では貸本を……と、常に“ちょい古”ネタを最新のメディアに乗せて料理してきた。“どっかで見た懐かしさ”こそが、水木サンが発見した“妖怪の作り方”の基本条件のひとつなんです。

——ということは、平成の『妖怪ウォッチ』は……。

京極 そうそう。もう平成になってずいぶん経つんだから、昭和ネタでいいんです。地縛霊、オッケーじゃないですか?

——なるほど!

京極 対象年齢を考えると、地縛霊って微妙に遠いですね(笑)。でも“昔のうさんくさいもの”って、大人にウケるんですよ。子供のころ自分の身近で流行っていたわけで。

——確かにそうですね。

京極 古来、日本の“お化け”は、そういう作られかたでできてるんです。民俗学的な部分をとりあえず横に置いておくなら、全部がそうだといってもいいでしょう。江戸時代の後半に成立した化け物キャラだって、「昔、こんなのいたそうだ」とか「田舎のほうじゃこんなもんが出るらしいよ」っていう情報が都会(江戸)に集まって、キャラクター化されたものです。当時は情報の伝達が遅いから、どれも“ちょい古”ですよ。「聞いたことあるそれ、懐かしい」という。

——江戸時代の人も、“お化け”に懐かしさを感じていたんですね。

京極 妖怪には、“懐かしい”という感覚が大切なんです。そういう視点で眺めると、ジバニャンって『男はつらいよ』の“寅さん”とか『天才バカボン』の“バカボンのパパ”みたいなハラマキをしているし、ちょっと古い昭和の香りが。

——まさに昭和のおじさんルックです。

京極 でしょう。ジバニャンって名前も、昭和生まれの心霊用語+ニャンですよ。ひねりも何もない、まんま(笑)。でも、その軽さがいいわけです。どうせ小さい子にはわからない(笑)。知らないから新しいんだけど、どうも「懐かしいものらしい」感じではあるわけ。その程度でいいんです。『妖怪ウォッチ』は、日本人がお化けや妖怪を作り出した方程式をちゃんと踏まえている。「本物の妖怪じゃない」って言っている人たちは、その昔作られた妖怪だけを“本物の妖怪”だと言っているんでしょうけど、ろくろ首だって江戸後期の“懐かしげな新キャラ”なんですよ。妖怪文化を俯瞰していくと、時代の節目というか、文化の行き詰まりに、必ず新しい妖怪キャラが作られています。まあ、水木サンの影響力があまりにも強かったから、昭和後半以降、出にくい時期というのは確かにあったんですけど。

——その流れのなかで、『妖怪ウォッチ』も出てきているということですね。

京極 そうなんですよ。おもしろいのは、妖怪の“ちょい古”を遡っていくと、その先には“ちょい古のちょい古”があって、さらに昔があって、ずっと昔があって……と、その先、その先を追いかけていくことで、ず~っと根っこにある、日本の歴史や文化に辿りつける仕組みになっているわけです。

——平安時代にも、鬼の話がありますものね。

京極 そこまでさかのぼれるんです。でも、いま活躍させるキャラとして重要なのは“ちょい古”なんですね。平成から、いきなり「平安時代に根っこを持っています」と言っても、「途中はなんなの?」って話になってしまうわけで。対象は現代に生きている人間なんだから、“その時代に生きている人の記憶に届く限りの昔”というあたりが狙い目です。そのへんのネタを、どれだけうまく使うかっていうのが新妖怪キャラ作りのコツなんでしょうね。

——あくまで、いまの人たちに身近な範囲の昔を扱うのが大事なのですね。

京極 そうです。江戸時代っていまの人から見ればみんな一緒なんだけど、300年も続いているんだから、流行も変遷しているわけ。江戸のお化けキャラって、たぶん当時は時代遅れのコスチュームなんです。「もうそんな服着てる奴、いなくね?」くらい(笑)。さっきのろくろ首だって、原型というか説話なんかはうんと昔までさかのぼれるわけだけれども、キャラクターとしてすっかりできあがったのは江戸の後期。でも、スタイルは元禄くらいものなんです。絵巻が描かれた時代の風俗じゃないから、鑑定し間違ったりするわけ(笑)。髪形も服装も古いわけですよ。

——ジバニャンがハラマキをしているみたいな古さですね(笑)。

京極 そう。でも、いきなり平安時代まではいかないんですね。平安時代の妖怪ってピンとこないんだけど、それは、お化けキャラを作った江戸後期の人たちが平安時代をあまり“ちょい古”だと思えなかったからでしょうね。

ジバニャンスシジバ(ジバニャン)

——かなり古い、という認識だったと。

京極 そうそう。言わずと知れたマンガ界の巨匠である、手塚治虫さんの名作に『どろろ』という妖怪漫画があります。『どろろ』は手塚治虫作品としてはとてもすぐれていて、人気もあるんだけれど、いまひとつ妖怪っぽくない。それは、舞台が戦国時代だからですね。あくまで妖怪を足がかりにするなら、そこまでの過去へは一気にさかのぼれない。懐かしさを共感できないんですよ。

——遠すぎて身近に感じられない……。

京極 そうですね……まあ、現在は江戸も戦国も平安も「同じようなもんじゃん」みたいな感じでとらえられていたりするから、またちょっと違うんでしょうけど。陰陽師ブームもあったし、「平安でも妖怪でいいんじゃない?」みたいな風潮になっています。でも、それは怨霊や鬼などの一種の“読み替え”作業なのであって、新キャラクターとして作るなら、やっぱり近過去をネタにするのが定番じゃないですか。流行のサイクルも短くなってきているし、なによりちょっと古いくらいのほうが、思い出しやすいから、リアリティのある“いじり”ができる。そこが、妖怪のいいところでもあるわけだし。戦略としては有効ですよね。

“Yo-kai”世界進出なるか

——戦略と言えば、『妖怪ウォッチ』シリーズは、現在海外展開にも乗り出しています。

京極 そうなんですよ。妖怪という言葉は、最近だと海外でも通じる言葉になりつつあって、意外とアメリカでも狭い範囲でプチ・ブームだったりする。妖怪という“くくり”は、日本独自の切り口だし、海外の文化では理解されにくいものと思われていたのですが。

——なんとなくそう感じてしまいます。

京極 確かにそうなんです。妖怪は自然現象でもUMAでもナカマにしちゃうという、とんでもないカテゴリーで、そんな考え方は海外にはない。災害を起こす悪神はいるけど、災害自体がキャラクターになったりは、あまりしない。そういうのがいたとしても、UMAと並んで図鑑に載ったりしませんね。だからといって、妖怪が日本人にしか通じないものであると考えるのも、偏狭な考えかたではあるんです。たとえば、カレーはインド料理ですけど、インド人しか味わえないわけじゃないでしょう。「カレーはインドのものだ!」と言って、インド国民が怒ることもないです。

——ああ! そうですね(笑)。カレーは日本でも国民食になっています。

京極 インドが源流のカレーも、日本人は自分たちでアレンジして「いやー、これは本来的には長粒米に合うものだが、ササニシキにもあうのではなかろうか~」って試行錯誤があったわけでしょ。でもカレーはカレーです。

——そうですね。

京極 日本人は、各ご家庭でもお店でも、おいしいカレーを毎日たくさん作っているでしょう。それこそ、角川の文芸局長なんて、カレー作るのすごく上手なんですから。頼めば作ってくれます。

——そうなんですか(笑)。しかし、カレーのように妖怪という異文化も海を越えると。

京極 そういう意味では、文化がその国独自のものだったとしても、グローバルに展開しないとは言い切れない。『妖怪ウォッチ』には“りもこんかくし”という妖怪が登場しますね。この妖怪、海外でもそのまま通用しますよ。だって……海外の人も、リモコンをなくしますよね。お国柄、「リモコンをなくす家庭は1件もありません」なんて国はないです(笑)。それはもう、イスラム圏だろうがアメリカだろうがロシアだろうが、リモコンを持っている人は、必ず一度はリモコンを探してますよ。「あれ、どこだっけ?」って。

りもこんかくしりもこんかくし

——世界に船出する『妖怪ウォッチ』にふさわしい、グローバルで胸のすくようなお話です。

京極 だから、まあ名前の意味はわからないかもですが、「リモコン? Oh Yes! USAでもなくします!」みたいな(笑)。

——つまり、共通体験なのですね。

京極 そう。体験は共通なんです。でも海外だと、何か不思議な“モノ”のせいにするにしても「昔から伝わっている妖精さんが隠した」とか、そういう話になっちゃうわけですね。例えば、まじめな靴屋が寝ている間に靴ができていて「あ、靴ができてるじゃん! うれしい!」っていう話も、妖精さんの仕業ですね。妖精に固有名詞はあっても、靴専門じゃない。でも妖怪の場合は、妖怪“靴作り爺”になる可能性が。

——確かに。

京極 妖怪だと、おかしな現象を起こす“モノ”と、おかしな現象それ自体が、横並びになるわけ。だから、真面目な洋服屋さんのところに“靴作り爺”が現れたりすると、洋服の生地で靴が作られちゃったりして、「役に立たねえ!」みたいなことも起こる(笑)。それは日本独自の、妖怪ならでは(笑)。

——妖精と妖怪で、こうも違うのですね(笑)。

京極 妖精というラベリングも所詮は日本人がしたもので、“モノ”自体は妖怪と大差ないんですけど、妖怪の場合は、袖を引くだけとかほっぺたを撫でるだけとか、とにかく細かい(笑)。それをひとつずつキャラクターにするもんだから、どんどん増えていくんです。大災害からオナラの言いわけまで、オールマイティーに全部妖怪にできる。すばらしいですね、こんなに適当でいい加減、なおかつ便利なラベルはないです(笑)。さっきもいいましたけど、妖怪って、さかのぼっていくとものすごい歴史とか文化にたどり着いちゃうわけです。だから深刻なこととか小難しいことも、根っこにたくさん引きずっているわけ。民俗学者の人なんかは、そういうものを紐解くのがお仕事ですから、それでいいし、それもまたおもしろいわけですけど、一般の人は基本、楽しめばいいだけですね。そうでないと“生きた文化”にならない。妖怪は、本来は適当で、ものすごくゲスで、楽しい、俗っぽいものです。

——大衆文化の極みのような。

京極 “ちょい古”の背景には、ものすごく重たいものもあるわけですよ。信仰とか、恐怖とか、悲しみとか。でも、それを承知で、適当におちゃらける。深刻なことを忘れちゃうわけじゃないんですよ。むしろずっと覚えているため、忘れず生きていくために、笑いに転じる。そのまんまだと辛いでしょ。それこそが、妖怪です

——妖怪の神髄をうかがった気がします。

京極 “妖怪 りもこんかくし”だって、よく考えてみればボケの兆候かもしれないし、もしかしたら、リモコン専門のこそ泥が部屋に入ったのかもしれないでしょう。

——リモコン専門のこそ泥(笑)。

京極 リモコンマニアだっているかもしれないですよ。笑ってますけど、そう考えるとゾッとしませんか(笑)。

——サイコな香りで怖いですね。

京極 原因がわからないと怖いんです。でも、妖怪のせいにできれば、とりあえず「リモコンねーよ! 妖怪の野郎」で済んじゃう。だから、俗ですよ。俗もいいところですよ。水木サンも、そのへんはよくわかっていたんです。妖怪を広めるための戦略は念入りにしたわけですが、プレゼンの際は俗にする。俗でいいんです。俗を研究するのが民俗学なんだし。

——俗だからこそ、大ヒットしたと。

京極 逆も言えます。俗でいるためにはウケなきゃいけないの。だからゲームでもアニメでも、まさに“いま”子どもたちにウケているというのが大事なんだけど、それが子どもたちだけではなく、オヤジとかオバさまや爺さん婆さんにも「ちょっと響く」というところが肝心なんですね。それが妖怪キャラの仕組みです。

——まるで、レベルファイブの日野社長が『妖怪ウォッチ』で大成功させた、クロスメディアプロジェクト(複数のメディアでコンテンツを同時展開してムーブメントを生む、レベルファイブが掲げる独自戦略)そのままです。

京極 ほかにもいろいろ要件はあって、それはおおむね満たされていると思うのですが、説明すると長くなるし(笑)。“ちょい古”にこだわるなら、それって「過去につなげる」「つなぎやすくする」ということですよね。『妖怪ウォッチ』は、最新のゲームだけれど、世界観に少し古いものを混入させることで、ちょっと上の世代にもアピールできるわけですね。『妖怪ウォッチ3』には、“たらい回し”って妖怪が出ていますけど、たらいがある家、いまは少ないですよ。

たらいまわしたらいまわし

——そうですね、たらいなんて、ウチにもないです。

京極 見かけないでしょう。たらい。寿司の飯台が似ているくらいです。この間、京都の“角屋”という幕末からあるお店に行ったんですが、“西郷隆盛が行水したたらい”が飾ってあって。

——え! 西郷隆盛が行水!?

京極 そこで「うわ! たらいだ、久しぶりに見た!」と思ったくらい……たらいなんて、日常では見かけないですよ(笑)。言葉としては残っているけど、道具としては縁がなくなっている。でも、そういう、見たことはないけれどなんとなく知っているようなネタを放り込むことで、子どもが“過去”に接続しやすい状況が生み出せる。日本文化の成り立ちを知るうえでも、それはとてもいいことだと思うんです。それに、古いネタは最初から古いから、もうそれ以上古くならない。ずっと有効。前だけ見ている最新のものは、明日にはもう古くなるし、すぐに忘れられたりするんです。

妖怪世界平和論

——そうですよね。

京極 人間というのは、過去を知らないと、この先どうしていいかわからなくなるものなんです。過去に目をむけることで、今後どうしたらいいのか考えることができる。戦争のことをいっさい知らなかったら、戦争をしちゃうんですよ。でも、戦争のことをちょっとでも知っているなら「それまずくない?」という気持ちになるのが当たり前。戦争に限らず、どんなことでもそうですよ。先のことを考えるためには、足もとを見て、後ろにも目を向ける。じつはそれが大事なことで。先のほうばっかり見ていると転ぶんです。

——温故知新ですね。

京極 昔の人はいいことを言いますね(笑)。妖怪好きの人って妖怪のことを、おおむね自分で調べ始めるんです。で、勝手にルーツを探索して「えー、こんなことがあったんだ」とか喜ぶわけ。そういうのが好きなんですね。結果的に勉強しちゃう。良くいえば好奇心旺盛

——好奇心……まさしく奇なことが好きな心を持った人ですよね。

京極 妖怪っていい加減なんだけど、一度はまっちゃうと、根っこがずっと続いているから、調べていくといろいろなものにぶち当たるんですよ。そもそも、妖怪なんて存在しないんだから(笑)。妖怪って、その“周辺”でできているんですよ。ど真ん中には“キャラクター”しかいない。

——妖怪の中央には形しかない、ですか。

京極 妖怪は、その周辺に巻き起こっている事象こそが本体なんです。そうしたことをいっさい抜きにすると、形だけ、つまりキャラクターだけしかなくなる。そうすると、形がいいね、とかそういう話だけになっちゃうでしょう。それってふつうのキャラクターなのであって、べつに妖怪でなくてもいい。

——ああ……確かに。

京極 妖怪は、周辺情報にこそ実体がある。そのキャラクターを成立させる背景がある。それはかなり深いものです。“ちょい古”が肝心なのは、まずは“ちょい”でないと、周辺情報にリアリティーが持てないからですね。

——周辺にリアリティーを持ったキャラクター。

京極 リアリティがあるから、その先につなげる気になるんです。

——妖怪は、身近であることが大事なのですね。

京極 妖怪は、身近なところからだんだん過去にさかのぼっていくためのゲートなんです。だから、よくできた文化だと思いますけどね。

——そんなにいいものである妖怪が、まさにいま海外に乗り出そうとしている。

京極 そうなんですよね。妖怪が「世界に羽ばたく文化になる」というのは、20年前から我々『怪』のスタッフが言い続けていることでもあります。表紙にも、“世界で唯一の妖怪マガジン”ってうたっているし。世界妖怪協会だし。“世界”がついてるでしょ。そのころから、世界進出するべきだって言っていたんですよ。今は亡き会長も

——水木しげる大(おお)先生ですね。

京極 そう……でも、言ってはいたんですけど、言っただけ(笑)。なぜかというとですとですね……。妖怪ブームをけん引していた人たちは……みんな、なまけ者だったからですね

一同(爆笑)

京極 そのうち誰かがやるだろう! みたいな(笑)。

——たしかに、水木大先生こそ、“なまけ者になりなさい”とおっしゃられていますから。

京極 とりあえず目の前でメシが食えればいいや、忙しいからまだいいだろう、みたいな。そういう意味で世界進出に関しては……全員が、“積極的な気持ち”しかなかった。「早急に世界に発信しなければいけないんです! いまでしょ」みたいな人たちはいなかったんですねえ。

——さすがは、かの水木大先生のもとに集われた皆様です(笑)。

京極 そうしたら最近、妖怪が海外でも徐々に通じるようになってきて。その間にクールジャパンなんかで、日本のアニメやマンガが世界に紹介されるようになっていたわけ。まあ、誰かがやってくれたんですね(笑)

——おもしろいものですね。

京極 最近では、妖怪文化についての研究も盛んになったし、一般の妖怪に対する見かたも変化してきていて、書籍やら展覧会やら研究会やらが目白押しでしょう。そういった流れとちょうど機を同じくして、『妖怪ウォッチ3』が発売になるんだから。

——そうだったのですね。

京極 そう。だから、レベルファイブの社長さんは、ものすごく機を見るに敏だったんでしょうね。たぶんそういう、世間の動静に関して、経済的動静というより、文化的動静に関して敏感だったのでしょうね。でないと、このタイミングは難しい。妖怪の世界進出の時期としては、ちょうどいい時期じゃないですか。だからこそ、返す返すも、うまくやってほしいんですよ。失敗しないでねと思います、全日本妖怪推進委員会としては。いや、別にこれはすばらしいデスと喧伝するとか、そういうことはしないんだけれど……。ほら、我々はいい加減だから(笑)。

——京極先生は、全日本妖怪推進委員会を15年近く率いられていらっしゃいますよね。

京極 肝煎(きもいり)なので、率いているんじゃなくてお世話してるんです。『怪』はかれこれ20年ですけど、全日本妖怪推進委員会は、ちょうど『妖怪大戦争』の映画のときできたから、もう10年以上になりますね。主演の神木隆之介さんも、まだこーんな小さな子どもだった。

——もう立派な俳優になって。

京極 いまは、僕の倍くらい大きいですよ(笑)。神木さんが立派なイケメンに成長する間、おじさんたちはのろのろ妖怪を推進してきたわけです。だから『妖怪ウォッチ』の大ヒットで、そういう戦略に長けた人や、機を見るに敏な人たちが知恵を絞って“妖怪”を当ててくれるのは、うれしいことですよ。便乗していっしょに遊べるんだったら、喜んで遊びます。いろいろと物騒な時代ですが、妖怪がもてはやされている間はなんとかなる気がしますし。妖怪は、平和の最後の砦

——妖怪文化が華やいだ江戸時代もしかりですね。

京極 そう。社会がきなくさくなると「妖怪? そんなもんいらん!」と言われるわけです。だから、いらんと言われなくなるくらいに流行ってくれればありがたいんだけど。

——『妖怪ウォッチ』シリーズには、家族がいっしょに遊んで笑って楽しめるもの、というコンセプトがありますから。

京極 人間っておかしなもので、楽しいから笑っているのか、笑っているから楽しいのかわからなくなるんです。ふつうは楽しいから笑うんですけど、楽しくなくても笑っていると楽しいのかな? って気持ちになるものなんですよ

——確かに、笑う門には福が来るという、福の神の話みたいですね。

京極 そういうことですね。だから「妖怪っておもしろいよな」と、堂々と言える時代はたぶん平和なんです。時代が平和じゃない方向に向いても、国民全員が平和な気持ちでいられるなら……危機一髪は避けられるんじゃないかしら。戦うのはバカらしいという空気作りが大切ですね。ホント、戦いほどバカらしいものはない。だから、世界に羽ばたく『妖怪ウォッチ』には、世界中の家庭を妖怪で笑わせて、平和のために妖怪を広めてほしいわけです。

——海外に乗り出して、妖怪が世界を平和にすると(笑)。

京極 ちょうどイギリスがEU離脱を決定した日だから、こういうことを言ってみました(笑)。

おまけ京極夏彦教授の“妖怪ウォッチ談義”
~過去に繋がる現代の妖怪~

——最新作では、USAという、メリケン感あふれる場所が舞台で、“メリケン妖怪”という妖怪が出てくるのですが、こちらについてはどのように思われますか?

京極 いやいや、メリケン妖怪。こういう、ちょっと古い、昔を引きずった名称を、わざわざ選択していくっていうのが大事ですよ。妖怪は全部創作なんだから。でも、世界の妖怪っていう概念ができあがったのもすでに30年くらい前ですから。そろそろ、もういいんじゃないの? って僕は思っているわけです。『妖怪ウォッチ』の妖怪たちって、たぶん子どもはわからないネタもいっぱいありますよね。そこがいい。古い言葉……過去に繋がっていくでしょう。“たいこもち”とか“カクさん”だって、子どもはきっとネタを知らないでしょう(笑)。下手すると、おじいちゃんに「おまえそんなことも知らんのか」ってなるくらいの言葉ですよ。だから過去につながるんだよなあ。そのほかにも、“紙かくし”っていうのも、神隠しとトイレで紙がないっていうのをかけたりしていて、すばらしいね。

——ちなみに『妖怪ウォッチ』には、酒呑童子や烏天狗なども、“古典妖怪”の先輩として登場します。

京極 古典という名前は何か権威が生まれてしまう言葉だけれど、その“先輩”ってところがいいね。……むしろ、ロートルもいるみたいな(笑)。そういう古い妖怪たちは、本物偽物、ということではなく、さっきのメリケン妖怪と同じ。ただ……時代が違うだけなんですよね。だから、メリケン妖怪がいて、先輩の古い妖怪がいて、そういうつらなりが妖怪の歴史としてつながっていく。妖怪をなんでもひっくるめて、ひとつの流れに組み込んじゃうというのは、おもしろい。

酒呑童子酒呑童子
烏天狗烏天狗

——なるほど。妖怪の歴史になっていくと。

京極 そう。それにしても、古典妖怪が、さらに1期生、2期生みたいだったらおもしろいよね(笑)。江戸時代に大人気だった妖怪の“豆腐小僧”とかが、「江戸後期の総選挙ではセンターだった」みたいなことを言い出すわけ(笑)。

——なにやら某アイドルグループ的なお話になってまいりましたが、京極先生が長年かかわられてきた『怪』マガジンも、ちょうど最新刊の48号が発売中。なんだかふさわしい締めですね。これも妖怪のしわざ(笑)。

京極 ははははは。

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